「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」(マハトマ・ガンディー)。簡潔な表現で、私たちひとりひとりに生き方を考えさせる言葉です。では人間は、なぜ学ばなければいけないのでしょうか。また、何をどのように学べばよいのでしょうか。
138億年の宇宙の歴史の中で、地球という星の上で進化したv生物として私たち人類は生きています。人類は技術を向上させながらさまざまな物をつくってきました。複雑な言葉を用いて多くの知識を蓄えてきました。宗教や芸術を生み出してきました。経済、政治その他の社会制度を作ってきました。それぞれの民族が独自の生活様式をつくってきました。人間は長い年月をかけて、高度で複雑な社会をかたちづくってきたのです。
こうした文化・文明は人間が生まれつきもっていたものではありません。例えば、文字の読み書きも、お金の計算も学ぶということによってできるようになります。文化・文明を受け継ぐために何らかの方法で学ぶことは欠かせないことです。社会の一員として生きるためにも、また個人として自分が望む生き方を実現するためにも、学び、考えることの意味は大きくなっています。
人間は文化・文明を受け継ぐだけでなく、生物として存続する限り、それを発展させてゆくことになるでしょう。例えば、新しい事実を発見し、これまでになかった知識を獲得し、新しい考え方や概念を見い出していくでしょう。これから文化・文明をどのような方向に、どのようなかたちで発展させてゆけばよいのかということは私たちにとって重要な課題です。
子育てをした方なら、幼い子どもから身近な事柄についてさまざまな質問をされた経験があることでしょう。子どもにとっては、この世界には不思議に感じられることがたくさんあるのでしょう。目に見えないもの、過去や未来のことなども含めて、「知りたい」、「わかりたい」という気持ちが湧いてくるのは人間としてごく自然なことなのでしょう。真理を理解すること、探究すること、発見することに喜びを感じるのは、人類に与えられた貴重な特性ではないでしょうか。ここに私たちひとりひとりの人生を有意義なものにするための手がかりのひとつがあるように思います。 (2020.04.29加筆修正)
COVID-19が世界各地で流行しています。今後、感染の状況がどうなるのか予測するのは困難です。ただ、世界全体で人口増加の速度がいくらかは低下するでしょう。現時点で、比率としては低いものの感染者の一部は死亡しています。また、多くの地域で人びとの行動を制限する政策が実施されています。これが長引けば、人びとは性的パートナーを見つけたり出産、育児をするのもむずかしくなります。
人口増加に歯止めがかかることによって、有害物質の排出量やエネルギーの消費量が減少すれば、COVID-19の流行は地球環境の維持という巨視的視点からはポジティブな要素となります。
地球をひとつの生命体として理解する考え方があります。ジェームズ・ラブロック(1919~)の「ガイア仮説」もそのひとつです。人類は文明をつくりあげ、それにともなう経済活動は地球環境に有害な作用をしています。その意味で、人類は地球という生命体をおびやかしている存在と言えます。だとすれば、COVID-19の原因ウイルス「SARS-COV-2」は人類の増殖を抑制するための「免疫機能」を発揮していると解釈することも可能です。また少し別の見方をすれば、このウイルスは私たち人類が自らのあり方を見つめ直すためのよい機会を提供してくれたのかもしれません。(2020.05.04加筆修正)
本
『算法少女』遠藤寛子、筑摩書房:ちくま学芸文庫
江戸を舞台とした子ども向けの歴史物語です。主人公の少女千葉あきは町医者の父親から算法(算数、数学)を学んでいます。ある出来事がきっかけで、彼女には、算法好きの大名から娘の指南役にという話がもちあがります。また、ふとしたことから、木賃宿で暮らしている貧しい子どもたちに算法を教え始めます。この二つがからみ合うところから物語は意外な方向に展開します。学問や教育の、より本質的な意義について考えさせられる作品です。私も主人公の生き方に共感できて、さわやかな読後感を体験できました。
この作品は1973年に岩崎書店から刊行されました。その後、長らく絶版となっていましたが、2006年にちくま学芸文庫から復刊されました。私の中学時代に数学を担当してくださった先生が復刊のために努力されていたことを知って不思議な因縁を感じました。
江戸時代の日本では和算と呼ばれる数学が人びとの間で研究、学習されていました。和算については別のところで紹介したいと思います。
『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン、上遠恵子訳、新潮社
「センス・オブ・ワンダー(the sense of wonder)」とは、自然現象や生き物たちとじかに触れ合うことで、自然の美しさや不思議さに驚きを感じる感性のことです。これは私たちに生涯にわたって、生きることの喜びをもたらしてくれます。
レイチェル・カーソン(1907~1964)の『沈黙の春<改装版>』(青樹梁一訳、新潮社:新潮文庫)は、化学物質による環境汚染を警告した先駆的な業績として知られています。原著『Silent Spring』は1962年に刊行されました。彼女の著作は、細やかな感性と科学者としての知性とが融合して、読者に深く訴えかける力をもっています。
映画
「博士の愛した数式」(小泉堯史監督、2005年)
事故のため80分しか記憶を維持できなくなった数学者。彼の家で家政婦として働くことになった女性とその息子。数学を通じての三人の不思議で物悲しさも感じさせる交流を描きます。数学の世界の美しさ、人と人との心の通い合いの美しさ、その両方を味わえます。
原作は『博士の愛した数式』(小川洋子、新潮社:新潮文庫)です。作品中に出てくるオイラーの公式については、『新装版オイラーの贈物』(吉田武、東海大学出版会)で系統的に学習できます。筑摩書房から文庫版が刊行されています。
「アレクサンドリア」(アレハンドロ・アメナーバル監督、2009年)
主人公は4世紀末にアレクサンドリアで哲学、数学、天文学などの研究、教育活動をしていたヒュパティアという科学者(女性)です。科学の研究に人生をささげようとした彼女でしたが、その活動に反感をもつキリスト教徒らによって悲劇的な最期をとげます。
「奇蹟の数式」(マシュー・ブラウン監督、2015年)
インド出身の天才的数学者シュリニヴァーサ・ラマヌジャンとイギリスの数学者ゴッドフレイ・ハーディーとの交流を描いた作品です。ラマヌジャンはほとんど独学で数学を学習、研究して、膨大な数の高度な公式を直観的に発見しています。ヒンドゥー教の信仰が篤い彼は、それらの公式を「寝ている間にナーマギリ女神が教えてくれた」と話していたそうです。その信仰心も背景となって、残念ながら若くして亡くなりました。
「学校」(山田洋次監督、1993年)
作品の舞台は東京の夜間中学です。夜間中学とは、さまざまな事情があって、小中学校での教育を満足に受けられなかった人たちのために開設されている学校です。この映画は、生徒たちがそれぞれにかかえている困難、生徒たちを見つめる先生の温かいまなざしがしみじみと伝わってくる作品です。
「フリーダム・ライターズ」(リチャード・ラグラネベーズ監督、2007年)
アメリカのロサンゼルス郊外、人種・民族間の差別、対立や暴力が渦巻く地域の高校。生徒たちも差別や対立の中で荒れた日々を過ごしています。新任の先生は生徒たちに日記帳を配り、自分の本当の思い、気持ちを書き記すことを提案します。その後も、先生と生徒たちにはさまざまな苦難が待ち受けていました。実話に基づく作品です。
「パリ20区、僕たちのクラス」(ローラン・カンラ監督、2008年)
フランスのパリ、移民の多い地域の公立中学の現実を描いた作品です。多様な文化的背景で育ってきた個性的な子どもたちの学びの場をどのように形作っていけばよいのか、観る者を考えさせます。
「奇跡の教室」(マリー・カスティーユ・マンシオン・シャール監督、2016年)
この作品もフランスのパリ郊外、多様な民族の生徒が通う高校が舞台です。歴史の授業で、ナチス支配下の強制収容所生存者が招かれ、体験を語ります。学習意欲に乏しかった生徒たちが、その語りを聞いて変化していきます。こちらも、実話に基づく作品です。